北京の器【ブログ】

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腰痛はうつ病のもと


昨日の夜から腹痛に襲われております。
現在、やや熱も出てきたようです。


まだ、お腹を下すにいたってはいないのでありますが、飲んだり食べたりすると腸のあたりが燃えるような痛さに。


このところ、腰痛がひどいとおもっていたら、腰痛ではなく腹痛だったのかも…という気もし、そのほうがよかったのか悪かったのか…。




ところで、私はこれまで腰痛とは無縁の生活を送ってきたのですが、相方のろば夫は腰痛持ちキャリア8.9年で、最近は症状が慢性化してしまい、痛いのが当たり前で生活しているそう。


白状すると、私はこれまで、その痛みというやつは、ろば夫の言い訳の道具、もしくは彼の性根が怠け者なのだとみなしていました。



例えば、ろば夫は休みの日など、ちょっと私が目を離すとすぐにソファーの上に寝転がってダラダラしています。
もしくは、気がつくと寝ている。
いくらなんでも寝過ぎなんじゃないか。寝る暇があったら子供と遊べばいいのにと思い、正直イラっとしていたものです。


が、しかし、実はそれも腰痛のなせる技だったらしいのです!
(↑と本人も訴えていたけれども、耳に入っていなかった。なんたる鬼嫁っ)


座ると腰が痛いので、休もうと思うと寝転がるしかない。
寝転がるといつの間にか寝てしまう。
寝過ぎるとさらに体が重くなり、再び寝てしまう。


ああ、恐ろしいゴロンチョ負の連鎖


それだけではありません。
腰痛があると、ものごとに集中できない。
痛みという原始的な感覚が、彼の思考を邪魔し、どんな高度な思索をも腰が痛いという単純な一点に引き戻してしまいます。

人間は基本的に座って勉学する生き物なので、例えば司法試験の受験などたくさん勉強しなくてはならない場合、おそらく一日のうち座っている時間が生活の大半を占めることになるでしょう。
そうすると、究極、頭がいいかどうかということよりも、長く座る体力と身体能力があるかということが、最終的に合否を分けるのではないか。そんな気もするのです。



そして、もっとも恐ろしい腰痛の悲劇は、思考が内向きに、マイナスに向かいやすくなる ということでしょう。

ちょっとしたことも、腰痛の痛みに耐えてやることを考えると億劫になる。
私も、普段なら10分もあれば終わるちょっとした洗濯物干しがなかなかできない。
床に散らかった子供のおもちゃをどうにかしたいんだけれども、拾う姿勢の一回一回がチャレンジ。
そんななら、もう片付けるのをやめようと思うと、すべてがとっちらかり、どんどんと何もかもがどうでもよくなって積極性を奪っていくのです。

特に、元が完璧主義者だったりすると、悲劇が加速。
下手をするとうつ病にだってなりかねないたかが腰痛、されど腰痛だったのです!!


ろば夫よ、これまで白い眼で見てすまなかった。



人間の想像力なんてたかが知れてます。
特に痛みに関しては、想像力の及ぶ範囲はさして大きくない。
ろば夫も、出産直後、そこらじゅうの痛みに耐えかねうんうん唸っている私を見ながら、寝むそうに眼をこすっていたもん。


でも、人の痛みなんて分からないって端から斜に構えるのは違うと思うのです。
立場が変われば突然わかることもあるし、分かろうとする周りの努力があるだけで、当事者が救われることもあります。



ということで、ようやく腰痛のつらさがわかったから、治すべく運動をしたまえ!ろば夫よ!!
(↑何も分かってない??)





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