北京の器【ブログ】

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断片ごとのディテールが素敵 「水の彼方」

遅ればせながら、田原の「水の彼方」(泉京鹿訳・講談社)を読了。


水の彼方 ~Double Mono~水の彼方 ~Double Mono~
(2009/06/26)
田原 (Tian Yuan)

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80年代生まれの重点高校に通う少女が主人公。まぼろしを見やすく夢の世界に容易に落ちていってしまうはかなげな主人公の青春を、時間軸を交差させながら、崩壊に向かって滑るように、幻想的に展開している。

歌手としてデビューし、女優、作家という顔ももつ、中国きっての若手才媛田原の初の日本語訳小説。


以下、少々ネタばれあり。


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さて。

全体の3分の2くらいまでは、作家の才能にドキドキしながら読み進みました。
日本でもひところ、タレントの書いた小説というのが流行っていたから、そんなノリで読み始めたのだが、あなどるなかれ。


久しぶりに、小説を読んで目新しい表現力に出会った感じ。

おそらく作者が、作詞作曲を自分でこなすミュージシャンということにも通じるのだろうけれど、情景描写もさることながら、嗅覚、視覚、触覚といった五感に関する表現が、一行一行詩でも書くように吟味されています。

これは、翻訳者の泉京鹿さんによるところも大きいだろうと。
日本語の選択に妥協がなく、かといって無理もない。
作家の体質みたいなものまで、自分にとりこんだ上での作業だということが伝わってきます。


小説の構成としては、現在進行形の部分と、主人公の見る幻想、過去の回想が、時系列を無視して並べられているのですが、実はきちんと計算されて配列されており、不思議と読み手が混乱に陥ることがない。特に主人公と幼馴染の少年との関係、もしくは主人公の幻想の歴史を読者に解きほぐしてみせるのに、こういう手順で見せられた方が、むしろ納得がいくという手の込みよう。

感覚を全面に打ち出しつつ、基礎工事をきちっとしてあるというのが、よい意味で期待を裏切り、さらにこの作家の技術的な確かさを感じさせます。


そしてこの手法によって、読者は、人は記憶の断片の集合体なのだと気付かされるというわけ。

主人公は幻想も実際に起こったことも含めてすべて日記に書きとめているのですが、その日記を拾って読んだ男が主人公に恋をするようになっているところなどまさに象徴的。


私は、たとえば恋愛小説や恋愛ドラマは、乱暴にいえば、ストーリーなんてどうでもよくって(だってみんな多かれ少なかれ、同じことの繰り返し)、断片的なディテールが命だと常々考えているのですが、この作家はとにかく記憶の断片ごとの再現がすばらしい。

前後の時間的流れは、うまく切断されて、小説のいろんなところにちりばめられているのだから、余計にそのディテールの素敵さが際立っちゃう。


だから思うの。


作家の、書かざるを得ない、という欲望を無視していうと、

これが恋愛小説ならよかったのに~。





なんていったら怒られますね。
ハイ。

作家が、作品中で告白しているとおり、たぶん少なからずサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」に影響を受けているんだと思う。

ライ麦畑~とは違って、時系列を直接追わずに主人公の幻想濃度を徐々に濃くしていくという作業は、かなり高度なテクニックが要求されると思うのですが、3分の2くらいのところでなんとなくネタばれしちゃってる感じがするんです。

つまり、主人公が妊娠するあたりで。
あ~、あとはこうなってこうなってこういうラストだろうな~という予想がかなりついてしまう。
それまで、時間軸をばらして煙にまいてきたのが、一気に見通しがよくなってしまう残念さ。


どうして、こうなるかというとこれが青春小説だからじゃないかなー。
恋愛小説なら、そもそも帰結は①めでたく結ばれるハッピーエンド。②別れてしまうビターエンド。のどちらかなんだから、作家はそのディテールをどう描くかに集中すればいいんだと思うんです。

が、青春小説がゆえに、何か特別な「事件」が起らねばならず、それが妊娠だったりすると、あ~あ~、(安易に)そっちいっちゃったかあ。ってなってしまう。

また、ラストに向かう青春的疾走感を出さねばならず、そうすると、どこかの映画で何度も繰り返し見たようなああいうラストがやってきちゃうんですよ。


逆に恋愛テイストがもう少し薄かったなら、「ライ麦畑~」のあの衝撃的ラストのような幕切れも、あるいは可能だったのかもしれないと思います。
そこだけが残念。


しかし、登場人物の掘り下げようはなかなか。
私は主人公の幼馴染に恋をしちゃったわ。



アクセサリー的にちりばめられる「カート・コバーン」「スワロウテイル」「セイント聖矢」といったワードが、なぜか同世代。

「80后(80年代生まれ)」はもしかして、中国のXジェネレーション?



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